認識という名の枷
認識とは何か
目や耳で観測し、それを判断する事だ
判断するにはある程度の知識がいる
例えばAという概念が生命体であると認識するためには
他の生命体との類似点や、生命体という定義を知っていないといけない
概念Bが楽器の音であると認識するためには
鼓膜が振動することか
楽器だと認識して聞いてきた音と比較して
楽器から出た音だと定義する他ないだろう
しかし、逆説的にいえば
認識し、そうであると証明してしまったら、それはその人の思考内ではどう足掻こうと認識したものになるのである
概念Aが有機物の無生命体であるという認識はできないし、
概念Bが楽器以外から出た音だと言う結論は確たる証拠がない限り出るわけが無い
認識とはそういうものだ